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第一回ゲスト:平田オリザ 日本人とコミュニケーションを巡る対話-前編-

「伝わらない」という絶望的な経験こそがコミュニケーション能力に磨きをかけるという平田オリザさん。
平田さんは、22歳の頃に日本語に近い文法の言語である韓国語を学ぶことで「伝わらない」経験を自らに課した。
はたして平田さんは韓国で何を感じ、何を悟ったのか!? 株式会社オフィス・サンタの代表で、元・演劇界の風雲児であった鈴木あきらが、現在の"平田オリザ"を作った原点を探り、そこから見えてくる"知られざる日本語"について迫る。

コミュニケーションは「伝わらない体験」から始まる

鈴木:私の会社は現在、平田さんの監修の体感型演劇ワークショップ研修というものを開発して、各企業や大学生に向けたコミュニケーション研修という活動を展開しています。これはもともと、各企業の人事の方々から「ゆとり世代に属する新入社員とのコミュニケーションがうまくいかない、なんとかうまい方法がないか」という依頼を受けて考え始めたものなんです。私も演劇の世界に身を置いていた人間ですので、直感的に「演劇を応用することが可能なのではないか」と考えたわけですね。それで、日本における演劇ワークショップの先駆者である平田さんに監修をお願いして開発を始めたわけです。
その平田さんがいつもおっしゃっているのは、伝える技術を身につけるには、伝えたいというモチベーションがなければダメで、伝えたいというモチベーションは伝わらないという経験からしか生まれないんだということです。これは非常にまともな、というかもっともな考え方なんですが、実は「伝わらないという経験」を自分のコミュニケーションの基本におくことのできる人はなかなかいない。日本国内で暮らしている限り、それほど絶望的な「伝わらないという経験」に遭遇することは、まずないからです。
私が推測するに、平田さんがそれをコミュニケーションの基本に置くことができるというのは、なんといっても若いうちに経験された自転車による世界一周旅行の経験が大きいのではないかと思うのですが、いかがですか?

平田:もう30年も前の話ですからね、難しいですけど……。当時はメールはもちろん携帯電話もない時代ですから、すごくたくさん手紙を書いたんですね。だいたい1年半、500日ほどの旅行中に、絵はがきも含めて500通出しています。向こうに行ってると、国際電話も3分5,000円の時代ですから、そんなに簡単にはかけられないわけですね。自分が生きているということ、その存在証明をするためには手紙を出し続けるしかないということ。それが大きかった。
それともう一つ大きかったのは、韓国への留学体験です。それは22~23歳の時ですが、1984~85年といえば、まだ反日感情も強い時期です。そんな時期にソウルで日本人が暮らすということは、非常に厳しい形で日本人であるということを意識させられるわけです。それまでは自分はコスモポリタンとして、非常にリベラルな家庭で育ってきて、日本人だということをあまり意識しないで暮らしてきたわけですね。しかも16~17歳で世界一周旅行もしてますしね。
ところが韓国では、初対面の人は、平田オリザ個人としては見てくれない。まずは日本人として見る。それは、そうですよね。日本から独立してまだ40年という時代で、たくさんの植民地被害にあった人たちが社会の中核を占めている時代ですから。そこから韓国の人たちとのコミュニケーションが始まった。だからマイナスから人間関係が始まったわけなんです。そこからどうやって信頼関係を構築していくかというコミュニケーションですから、これは大変でした。でも、日本人として当然背負わなければならない立場ですから、そこから逃げるわけにはいかない。誰に頼まれて留学したわけでもありませんからね。その二つがやっぱり大きかったと思いますね。

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