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2011.12.16 舞台評
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鈴木 あきら |
(2)文化庁主催 在外研修の成果公演 「ポルノグラフィ」
さて、ではサイモンからその素材を受け取った演劇現場の創作者たちは、それにどのように対処すればいいのでしょうか。
「ポルノグラフィ」は、テロ事件の被害者52人のプロフィールが延々と読み上げられるブロック1から、キャリアウーマンのモノローグで組み立てられたブロック7までの7ブロックで構成されています。
現場創作者のトップたる演出家がまず決定しなければならないのは、この7ブロックをどのように組み合わせ、どんな順番で上演するかということです。
それがどのような組み合わせであれ、それを演出家が選択決定した瞬間に、それは演出家自身のメッセージとして観客に発信されていくことになります。なぜなら、作者みずから「上演順は自由だ」と但し書きをつけているからです。
この但し書きがある以上、仮に演出家が戯曲に書かれている通り、1から7までの順番で上演したとしても、それはサイモンが、ではなく演出家が自分で選択決定したメッセージとして発信されてしまうことになる。
それがサイモンの用意した高度なメタ・メッセージです。
この作品を上演する演出家は、この呪縛的な構造から逃れることはできません。
1から7までの数字の組み合わせだけでも5,040通りあります。つまり、各ブロックの上演順を組み替えるだけでも5,040のメッセージが発信されていくことになる。
それに加えて、演ずる俳優の人数による組み合わせもあります。
たとえば、ブロック2の孤独な老婦人の役を一人の女優が演ずることもできるし、途中で他の俳優が入れ替わることもできる。さらに言えば、全ての登場人物を一人の俳優が演じきることも、あながち不可能なことだとは言えません。
とすれば、その組み合わせは無限にあると言っていい。
それらの多様で重層的なメッセージの全体が、「ポルノグラフィ」という戯曲の世界であり、メッセージなのです。
ですから、「ポルノグラフィ」という戯曲は、多様な演出家の手によって、様々な方法論を模索しながら、繰り返し上演されていかなければならない。それらの上演スタイルの差異、重なりが、多様で重層的であることによって、はじめてサイモンの戯曲は「ロンドン同時爆破テロ」と拮抗しうる世界の多様性を獲得することができるのです。
今回、サイモンのメタ・メッセージを受けた上村さんは、「ポルノグラフィ」をブロック1から始めて、以下7、6、5、4、3、2の順番で構成・上演しました。
すでに述べたように、この選択が正解であるかどうかを問うことには何の意味もありません。
私たち観客が注目し、耳を澄まさなければならないのは、上村さんがサイモンのメタ・メッセージを受けて、どんな二次メッセージを発信したのかということです。
舞台上に乱舞する紙(印刷情報媒体)、無造作にぶちまけられる飲料水、スプリンクラーからほとばしり出る大量の水‥‥。
それらは、公演パンフレットに掲載されている座談会で、翻訳者の広田敦郎さんが「ポルノグラフィ=消費物」と規定しているように、すべて「消費」という一つのイメージに集約されています。
上村さんと広田さんが「ポルノグラフィ」という戯曲から「消費」というキーイメージを引き出したことは、極めて正鵠を得た選択だったと思います。
私たちが生きている世界は、食べ物や衣服はもちろん、情報から知識まで、ありとあらゆるものが大量に、猛烈な速度で消費されていく世界です。
その「消費」イメージを、「ポルノグラフィ」という舞台に通底させることによって、上村さんは私たち観客に恐ろしいイメージを突き付けました。
それは、私たちが無自覚に消費しているものの中には、食べ物や衣服、情報、知識などに留まらず、時間や宗教、国家や国籍までもが含まれているのではないか、ということです。
東西冷戦という「大きな物語」が消滅したポストモダン的状況下では、イスラムという宗教世界に承認されたいテロリストの身を焦がすような欲求と、同僚の大学教授によって承認されたい孤独な老婦人のささやかな欲求の間に価値の差はありません。
私たちは、自分の存在承認の為に、宗教や国家、時間までを消費し続けているのではないか。
これは、グローバル経済という怪物が跋扈する現代世界にあって、私たちが自らに問い続けなければならない本質的な問題なのだと思います。
上村さんは「消費される世界」という明確な世界観を持って「ポルノグラフィ」の創作にあたりました。これは、もっと注目され、賞賛されてしかるべき才能だと思います。
というのも、劇作と演出を兼ねている人は別として、日本の演劇シーンにはこうした明確な世界観を持った演出の専門家がほとんど見あたらないからです。それは実に不思議な、そして極めて残念なことなのですが、そのような状況下で上村さんのような才能が出て来たことは実に頼もしいことだと思います。
上村さんの、今後の活躍に期待したいと思います。
<了>

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