コミュニケーション研究所
| 舞台評2012.01.26 | 鈴木 あきら |
(3)メメントC公演 『音楽朗読劇 第6病棟・アンドレイの幽鬱(ユウウツ)』『ともしび』
既成の価値観に対する疑義、懐疑、そして否定。未来という時間を担保に生きることができない絶望と不安。進歩発展を旨とする科学技術に対する期待と不安。
19世紀末ロシアに生きる人々のそうした心情、つまりイワン・ツルゲーネフが『父と子』で描き出した『ロシア・ニヒリズム』は、『第6病棟・アンドレイの幽鬱』と『ともしび』にも通底しているばかりか、私たちの生きている21世紀日本の状況とも確実に共振(ともぶれ)します。
私たちは今、今日よりも良い明日を信じることができない、輝かしい未来という時間を担保に生きることができないという状況の中にいます。
世界経済はグローバル資本主義という未知の領域に突入し、国家の存続は風前のともしびとも言える状態の中にあります。国民経済は疲弊と混乱のただ中にあり、もはや経済成長神話を信じることはできません。国家の政(まつりごと)を司る者たちも、眼前に出来した未体験の混乱状況の前で、なすすべもなく立ちすくむばかりです。
そして、福島で起きた原発事故は、私たちから科学技術の進歩と発展に明日を託すという心の拠り所を奪ってしまいました。
そんな今だからこそ、私は『ともしび』の中でシテンベルグが吐く、
『ドクトル、この灯が何に似てるかって? 言わせてもらいますよ。‥‥ほらあの、アマレク人とかペリシテ族とかいう、何千年も前に死んでしまった旧約聖書の人達‥‥あれが土手のあっちとこっちに陣を張って、かがり火を焚いてる。さあ、これからダビデ王と戦争しようと言うわけだ。顔に隈取りを塗りたくった戦士達のカチャカチャ言う音とか、伝令の声、夜明けの突撃ラッパ‥‥他に足りないのは、エチオピア語で叫ぶ兵士とか、軍馬のいななきぐらいかな。それで舞台は完璧。(中略)千年、二千年前はそんな連中がこの辺りで戦をしてた。それが今じゃあ塵ひとつ残っちゃいない。我々だって、鉄道を敷いたり、こ難しい議論をいじくっているけど、それこそ二千年もすればこの大層なモンブランも、鉄道工夫達もひとつ残らず消え失せる。空しきかな、空しきかな。ぞっと‥‥』
という絶望のつぶやきに素直に心情を寄せることができるとともに、アナニエフが大切にかかえている『小さな物語』の大切さも、痛いほどに分かるのです。
21世紀の東京・日本で、19世紀末ロシアの劇作家チェーホフの書いた台詞に共振(ともぶれ)できるということ。それは実に得がたい体験だと言わなければなりません。
チェーホフの執筆年代順にこの二つの物語を読み進めれば、アンドレイはシテンベルグのニヒリスティックな言動に触れて揺らぎ、次にイワンの独白に自分を擬していくことによって、やがては自らを国家という名の病院の中に閉じ込めてしまうことになります。
そのように読んでしまえば、チェーホフが直面している苦悩は、一人のインテリゲンツィアの苦悩の物語として小さく自己完結してしまったことでしょう。しかし、嶽本あゆ美さんがこの二つの作品を執筆年代とは逆の組み合わせで構成・上演したことにより、チェーホフの直面する苦悩の物語は客観性を与えられ、より明晰な形で私の目の前に立ち現れました。
チェーホフは、『六号室』と『ともしび』で、『私たちは今、進歩と発展を無条件に受け入れるべきなのか。今、ここに留まることは困難だとしても、人民一人ひとりの『小さな物語』を捨ててまで、進歩と発展という『大きな物語』に与(くみ)しなくてはならないのか』という問いを発したのだと思います。
そしてその問いは、鋭い刃となって私たちの眼前にも突き付けられています。
私たちは今こそ、チェーホフの問いに答えなくてはなりません。
私たちは、このまま『進歩と発展』『経済成長』『グローバル資本主義』という大きな物語の枠組みの中にいてもいいのでしょうか。
私たちは、私たち一人ひとりの身体性を帯びた『小さな物語』を捨ててしまってもいいのでしょうか。
メメントCの公演を観てから半年間、その問いが私の頭から離れることはないのです。
<了>
| 舞台評2012.01.26 | 鈴木 あきら |
(2)メメントC公演 『音楽朗読劇 第6病棟・アンドレイの幽鬱(ユウウツ)』『ともしび』
今回のメメントCの公演は、『第6病棟・アンドレイの幽鬱』と『ともしび』の二本立てで構成されていました。嶽本あゆ美さんのこのレパートリーチョイスは、実に慧眼だといわなければなりません。
これまで『六号室』は比較的演劇の題材として取り上げられることの多かった短編です。しかし、『ともしび』が舞台化されたという話は寡聞にして知りません。もちろん、それは私が不勉強なだけなのかもしれませんが、何はともあれ、今回の公演が大きな成果を残すことができたのは、『ともしび』という短編を取り上げたことそれ自体ではなく、『六号室』と『ともしび』を組み合わせて上演したということにあると思います。
かつて、MODEを主宰する演出家の松本修さんが、ベケットの『しあわせな日々』を、同じくベケットの『芝居』と組み合わせて上演したことがあります。その時に大変衝撃的だったのは、それぞれの作品が単独で上演されたときには見えなかった作者の世界が、二つの作品を構成上演することによって見事な輪郭を持って立ち上がってきたという事実です。
今回の公演も、それぞれの作品の単独上演ではそれほど大きな成果を残すことはできなかったのではないかと思います。それどころか、仮にこれが『第6病棟・アンドレイの幽鬱』の単独上演であったとしたら、その結果はむしろ惨めなものに終わっていただろうとさえ思います。
ところが、『第六病棟・アンドレイの幽鬱』と『ともしび』を同時に、しかも書かれた年代とは逆の配置で構成したことによって、19世紀末のロシアに暮らす人々の抱える不安と絶望、そして彼らが紡ぎ出す『小さな物語』のあり方がくっきりと浮かび上がってきました。
チェーホフが生まれたのは1860年ですから、クリミア戦争終結の4年後、アレクサンドル2世の統治時代です。
ロシアとイギリス、フランス、オスマン帝国のあいだで起きたこの戦争に負けたことは、ロシアに深刻な危機感をもたらしました。戦いの相手との国力の差が歴然としたからです。イギリスではすでに市民社会が成立し、工業社会となっているのに対し、ロシアは未だに農奴制が続いている。そこで皇帝アレクサンドル2世が取りかかったのが農奴解放令による自由主義改革でした。要するに、イギリスを初めとする先進各国に追いつき、追い越せという政策ですね。
しかし、市民社会の下地のないロシアでいきなり農奴解放を命じても、貴族は本気で農奴解放には向かわず、農奴たちも戸惑うばかり。結果的には、かえって高い小作料で農民を縛ることになってしまいました。農民の怒りと失望は大きく、各地で農民蜂起が相次ぐようになる。
それを見てアレクサンドル2世はこう考えました。せっかく農奴解放令を出したのにそれが成果を出さないのは、国民が愚かだからだ。こうした愚かな国民を統治していくためには、上から押さえつけるしかない。
そう考えたアレクサンドル2世は、一転して自由主義改革からツァーリズム(皇帝専制政治)に逆戻りしてしまったのです。
それに対して立ち上がったのが、西ヨーロッパの自由主義的政治体制を理想と考えるインテリゲンツィア層でした。イギリスやフランスへの留学体験を持つ貴族や金持ちの子弟たちは、政治意識の遅れた農民たちを啓蒙しようと、積極的に農村に入っていきました。それが『ヴ=ナロード(人民の中へ)』を合い言葉とする『ナロードニキ運動』です。
ところが、日常生活においてフランス語やドイツ語を話すような裕福なインテリたちが、そのまま農村で受け入れられるはずもなく、『ナロードニキ運動』は農民たちからは煙たがられ、皇帝権力からは徹底的に弾圧さることによって挫折していきます。
その後を受けて組織されたロシア初の革命グループ『人民の意志』は戦術をテロリズムに定め、遂に1881年、アレクサンドル2世の暗殺に成功するのですが、専制政治はただちに次の皇帝アレクサンドル3世(2世の第二皇子)によって引き継がれ、政権には何の打撃も与えることができませんでした。
それどころか、暗殺当日にやっと承認にこぎ着けた最高指揮委員会委員長ロリス・メリコフの改革案(秘密警察・皇帝官房第三部を廃止し、立憲制導入に向けて『議会』の導入を提案)までもが白紙に戻されるなど、『人民の意志』のテロリズムはただロシア国内の政治状況の混乱に拍車をかけるだけの結果に終わってしまいました。
チェーホフが『ともしび(1888年)』『六号室(1892年)』を書いたのはこんな時代だったのです。
<続く>
| 舞台評2012.01.26 | 鈴木 あきら |
(1)メメントC公演 『音楽朗読劇 第6病棟・アンドレイの幽鬱(ユウウツ)』『ともしび』
昨年8月に表題の公演を観劇後すぐに舞台評を書こうと思い、ツイッターで予告までしたのですが、その後多忙を言い訳に、ズルズルと今まで書かずに来てしまいました。
私にとってはチェーホフとの新たな出会いの機会を作ってくれたとてもいい舞台だったので、改めてあの時の舞台を振り返りつつ、私が何故あれほどにあの舞台に惹かれたのかを書き留めておこうと思います。
私にとってチェーホフはとても不思議な作家です。自分が歳をとり人生の経験を積むに従って、チェーホフはどんどん作家としての貌を変えていく。
細かな変わり方は何度も体験しているのですが、特に大きかったのは、やはりロシアを実際に旅した経験でした。ほんのわずかな滞在期間だったのですが、そこで私は大きな衝撃を受けました。それは、世界がグローバル経済という巨大な渦の中でもがき苦しんでいるこの時代にあって、ロシアは未だに『前近代』にいる、という事実です。
私は日本人では珍しくロシア正教に籍を置いています。実際にキリスト(正教会ではハリストス)を信じているわけではないのですが、実家がそのような家庭であったために、幼児洗礼を受けているのです。
そんな背景もあり、初めて訪れたハバロフスクでは、たくさんの教会を訪ね、そこで司祭や神学生、イコン画家、そしてたくさんの信者さんと会いました。
彼らと接しているうちに気づいたのは、彼らの中に『近代的自我』と呼ばれるものがない、あるいは極めて希薄だということです。
考えてみればこれは当たり前すぎる話で、マックス・ヴェーバーが名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の《精神》』で指摘しているとおり、『近代市民社会=近代資本主義』というものが、一人ひとりの個人が教会を介すことなく聖書を唯一の手がかりとして神と繋がることによって成立したのだとすれば、宗教改革を経験していないロシアにあっては、そもそも近代的個人というものが成立する契機がなかったということになります。
そうした目でチェーホフの演劇を観てみれば、これまでに見えてこなかった登場人物一人ひとりの新たな側面が見えてきます。
ロシアからの帰国直後に観た、華のん企画プロデュース『ワーニャ伯父さん』(脚本・演出:山崎清介、主演:木場勝己)で、私は初めてワーニャが教授に向かってピストルを撃つシーンが持つ意味を理解しました。それまでの私は、ワーニャがピストルを撃つシーンがあまりにも唐突すぎるように思えて、違和感しか感じられなかったのです。
しかし、チェーホフの戯曲の登場人物たちが、近代的自我を持たずに前近代を生きている人たちなのだと考えてみれば、すべての違和は氷解します。
ワーニャは自らの生き方、生かされ方、置かれている境遇などに強烈な不満を持っているにもかかわらず、肝心の本人にはその不満の内実がわかっていない。自分がいったい何に不満を持っていて、それがどのように解決されるべきなのか、どのような解決を望んでいるのかがわからない。その不満の源泉を探るために降りていくべき内面を持っていないからです。
だから、ワーニャの放つピストルの弾丸はどこにも向かわない。教授に当たらないのはもちろん、自らの日常を保っている家具やグラス、窓ガラス一枚さえ壊すことができないのです。
そのように考えると、私はこれまでチェーホフの戯曲の登場人物たちの言動を、無意識のうちに『近代的自我』を持った人間たちとして読むことによって、とんでもない誤読をしていたのだということに気づかされます。
これまでの私は、なぜチェーホフが自らの戯曲を『喜劇』と称したのかを体感的に理解することができませんでした。しかし、チェーホフの登場人物たちが近代的自我を持たずに前近代を生きている人たちなのだと考えれば、それも素直に納得できるのです。
19世紀末のロシアを生きている人たちの生活を眺めながら、少なくともチェーホフ自身は『前近代』という枠組みの中に生きてはいなかった。自ら降下していくべき内面を持った近代的個人として、チェーホフは『前近代』に生きるロシアの人々を冷徹に、しかしながら狂おしいほどの愛しさを込めて眺めていたのです。
にもかかわらず、チェーホフの戯曲が『喜劇』として書かれているために、そして私はその戯曲を近代的文脈の中で読んでいたために、チェーホフの中にある『近代的自我の苦悩』を読み取ることができなかった。
しかし、今回のメメントCの公演を観たことによって、私は劇作家チェーホフから文豪チェーホフに視点を移すことができました。『第6病棟・アンドレイの幽鬱(ユウウツ)』と『ともしび』の舞台化に立ち会うことによって、19世紀末の滅びゆくロシアの中で、チェーホフがどれほどの近代的自我の苦悩をかかえていたのかを痛いほどに実感できたのです。
<続く>
| 舞台評2011.12.16 | 鈴木 あきら |
(2)文化庁主催 在外研修の成果公演 「ポルノグラフィ」
さて、ではサイモンからその素材を受け取った演劇現場の創作者たちは、それにどのように対処すればいいのでしょうか。
「ポルノグラフィ」は、テロ事件の被害者52人のプロフィールが延々と読み上げられるブロック1から、キャリアウーマンのモノローグで組み立てられたブロック7までの7ブロックで構成されています。
現場創作者のトップたる演出家がまず決定しなければならないのは、この7ブロックをどのように組み合わせ、どんな順番で上演するかということです。
それがどのような組み合わせであれ、それを演出家が選択決定した瞬間に、それは演出家自身のメッセージとして観客に発信されていくことになります。なぜなら、作者みずから「上演順は自由だ」と但し書きをつけているからです。
この但し書きがある以上、仮に演出家が戯曲に書かれている通り、1から7までの順番で上演したとしても、それはサイモンが、ではなく演出家が自分で選択決定したメッセージとして発信されてしまうことになる。
それがサイモンの用意した高度なメタ・メッセージです。
この作品を上演する演出家は、この呪縛的な構造から逃れることはできません。
1から7までの数字の組み合わせだけでも5,040通りあります。つまり、各ブロックの上演順を組み替えるだけでも5,040のメッセージが発信されていくことになる。
それに加えて、演ずる俳優の人数による組み合わせもあります。
たとえば、ブロック2の孤独な老婦人の役を一人の女優が演ずることもできるし、途中で他の俳優が入れ替わることもできる。さらに言えば、全ての登場人物を一人の俳優が演じきることも、あながち不可能なことだとは言えません。
とすれば、その組み合わせは無限にあると言っていい。
それらの多様で重層的なメッセージの全体が、「ポルノグラフィ」という戯曲の世界であり、メッセージなのです。
ですから、「ポルノグラフィ」という戯曲は、多様な演出家の手によって、様々な方法論を模索しながら、繰り返し上演されていかなければならない。それらの上演スタイルの差異、重なりが、多様で重層的であることによって、はじめてサイモンの戯曲は「ロンドン同時爆破テロ」と拮抗しうる世界の多様性を獲得することができるのです。
今回、サイモンのメタ・メッセージを受けた上村さんは、「ポルノグラフィ」をブロック1から始めて、以下7、6、5、4、3、2の順番で構成・上演しました。
すでに述べたように、この選択が正解であるかどうかを問うことには何の意味もありません。
私たち観客が注目し、耳を澄まさなければならないのは、上村さんがサイモンのメタ・メッセージを受けて、どんな二次メッセージを発信したのかということです。
舞台上に乱舞する紙(印刷情報媒体)、無造作にぶちまけられる飲料水、スプリンクラーからほとばしり出る大量の水‥‥。
それらは、公演パンフレットに掲載されている座談会で、翻訳者の広田敦郎さんが「ポルノグラフィ=消費物」と規定しているように、すべて「消費」という一つのイメージに集約されています。
上村さんと広田さんが「ポルノグラフィ」という戯曲から「消費」というキーイメージを引き出したことは、極めて正鵠を得た選択だったと思います。
私たちが生きている世界は、食べ物や衣服はもちろん、情報から知識まで、ありとあらゆるものが大量に、猛烈な速度で消費されていく世界です。
その「消費」イメージを、「ポルノグラフィ」という舞台に通底させることによって、上村さんは私たち観客に恐ろしいイメージを突き付けました。
それは、私たちが無自覚に消費しているものの中には、食べ物や衣服、情報、知識などに留まらず、時間や宗教、国家や国籍までもが含まれているのではないか、ということです。
東西冷戦という「大きな物語」が消滅したポストモダン的状況下では、イスラムという宗教世界に承認されたいテロリストの身を焦がすような欲求と、同僚の大学教授によって承認されたい孤独な老婦人のささやかな欲求の間に価値の差はありません。
私たちは、自分の存在承認の為に、宗教や国家、時間までを消費し続けているのではないか。
これは、グローバル経済という怪物が跋扈する現代世界にあって、私たちが自らに問い続けなければならない本質的な問題なのだと思います。
上村さんは「消費される世界」という明確な世界観を持って「ポルノグラフィ」の創作にあたりました。これは、もっと注目され、賞賛されてしかるべき才能だと思います。
というのも、劇作と演出を兼ねている人は別として、日本の演劇シーンにはこうした明確な世界観を持った演出の専門家がほとんど見あたらないからです。それは実に不思議な、そして極めて残念なことなのですが、そのような状況下で上村さんのような才能が出て来たことは実に頼もしいことだと思います。
上村さんの、今後の活躍に期待したいと思います。
<了>

| 舞台評2011.12.15 | 鈴木 あきら |
(1)文化庁主催 在外研修の成果公演 「ポルノグラフィ」
12月8日(木)に、文化庁主催 在外研修の成果公演「ポルノグラフィ」(サイモン・スティーヴンス/作、上村聡史/演出)を観に行ってきました。
とてもいい舞台でした。
「ポルノグラフィ」は2005年7月に起こったロンドン同時爆破テロを題材とした戯曲です。ロンドン同時爆破テロというのは、ロンドン市内の地下鉄3ヶ所が、その約1時間後には大英博物館近くの路上で2階建てバスが爆破され、自爆テロの実行犯4名を含む56人が命を落とした事件で、同年9月にアルカイダが公式に犯行を認めました。
このような凄惨な出来事を、しかも事件の記憶も生々しい2007年に戯曲の題材として取り上げるのは大変に難しいことだったと思います。
事件の悲惨さを精緻に描くことも劇作家の腕が問われる作業ではありますが、それが観客にカタルシス以上の何かを与えてくれるとは思えません。自爆テロの実行犯やその背後の組織を糾弾する戯曲を書くことも可能でしょうが、それで事件の本質にどこまで迫ることができるかは疑問です。
事件の悲惨さを描くのでもなく、加害者を糾弾するのでもない劇世界の構築方法はあるのだろうか。
それが、このような題材に向き合った劇作家に突き付けられる第一の課題です。
こんな時、私はイラク戦争取材中に心ならずも殺害されてしまった戦場カメラマンの橋田信介が残した、「戦場を語るな、戦争を語れ」※1という言葉を思い浮かべます。
「戦場を語らずに戦争を語る」。
このことこそが、このような難しい題材に向かい合う劇作家がとるべき唯一の方途である、と私は思うからです。
「戦場を語る」というのは、たとえばかつての戦争を「戦争の悲惨さ」や「原爆の悲惨さ」を語り継ぐという形で作劇することに相当します。戦争や原爆の悲惨さをいくら精緻に描いたところで、それは国家という暴力装置が何故存在するのか、どうして国家と国家が剥き出しの暴力で闘い合わなければならないのかという戦争の本質に至ることはできません。戦場における闘いの悲惨さを語るのではなく、なぜ私たちは「戦争」を必要とするのか、どうして私たちは「戦争」を抑止できないのかという「構造」をこそ描く。
それが「戦場を語るな、戦争を語れ」という言葉の持つ意味です。
「ポルノグラフィ」の作家であるサイモン・スティーヴンスは、この第一の関門を、事件をストレートに描かないという手法を用いることでとりあえずクリアしました。
被害者の無念、被害者家族の怒りと悲しみ、加害者に対する憎悪、そして加害者が抱いていたであろう西側諸国に対する義憤や呪詛といったものを正面から描くのではなく、ロンドンの市井の人々の生活の記憶、人生の断片をランダムに列記していくことで、この凄惨なテロ事件に客観的視座を与えることに成功したのです。
事件に客観的な視座を与え、事件の本質的考察は観客に委ねるというこの手法は、村上春樹が地下鉄サリン事件を取り上げたノンフィクション『アンダーグラウンド』(講談社/刊)を彷彿とさせます。
ただし、サイモンの選択した手法は村上のそれと同じように見えながらも、本質的には微妙に異なります。というよりも、サイモンの選択した手法は、村上のそれよりもさらにもう一段位相をずらした位置にある、というべきかもしれません。
それは、サイモンがこの戯曲にト書きも書かず、俳優の人数も指定せず、戯曲を構成しているブロックの上演順もすべて自由である、という但し書きまで附しているからです。
「戦場を語らず、戦争を語る」ことに成功したとしても、そこにはまだ大きな落とし穴が待ち受けています。それは、いかに慎重に事実の断片を列記していったとしても、その配列の仕方そのものの中に、作者の意志とメッセージが否応なく組み込まれてしまうということです。
かつて、メディア学の先駆者であるマーシャル・マクルーハンは「メディアはメッセージである」と喝破しました。
通常、私たちはメディアを「情報を媒介するもの」であり、それ自体にメッセージは含まれていないと考えがちです。しかし、新聞紙面を見てみれば容易にわかるように、1面トップを飾る記事と3面のベタ記事では、あきらかに情報に格差があります。私たちはニュースを知るために新聞を読むのではなく、現在の日本ではどのニュースが最も重要であると思われているのかという国民的合意(であると新聞社が考えているもの)を知るために新聞を読むのです。
同様に、いくらサイモンが「そこには私のメッセージは含まれていない」と言い張ったところで、彼の戯曲を舞台上に立ち上げる演劇現場の創作者たちは、そこにサイモンのメッセージ(であろうもの)を読みとり、それを舞台上に定着しようとしてしまうでしょう。
では、サイモンの戯曲からメッセージを読み取ってしまうことが、どうして危険なことなのでしょうか。
それは、ある事件に対して一つのメッセージが発信された瞬間、それは一片の情報として瞬く間に消費されてしまうからです。
「それ、どんなお芝居なの? ああ、反戦劇ね」
「テロリストを糾弾している? なるほど、愛国劇ね」
私たちの生きている時代は凄まじい速度で変化し続けており、同様の、あるいはそれ以上のスピードで情報が消費されています。
そんな時代にあって、一つのメッセージによって自分の立ち位置を固定してしまうことは、極めて危険な行為であると言わざるを得ません。
サイモンはそうした状況を冷静に見つめながら、自分の戯曲から丁寧にメッセージ性を拭い去ろうとしたのでしょう。
文脈を固定せず、組み替え可能なものとして演劇現場の創作者の前にゴロリと放り出すことによって、「ロンドン同時爆破テロ」という呪詛と呪縛に満ちた題材の処理を、演劇現場の創作者の想像力に委ねたのです。
<この稿続く>
※1『戦場カメラマンが書いた イラクの中心で、バカとさけぶ』(アスコム/刊)より
橋田さんは「戦場記者は戦争を語ってはならない」という鉄則を持っていたといいます。「なぜなら、<争>の原因はすぐれて政治の世界であり<場>からは見えないからだ」。その立場を踏まえた上で、彼は「もうそろそろ<戦場>と<戦争>をごっちゃにすることから卒業しなくてはならない。<戦場>の悲惨さを語るのは、単にそれは”泣き言”であることを悟らなければならない」と書いています。


